BLOG

ロシアタレントとの出会い#52

img188気温は30℃以上ありました。とても暑い日だったので撮影の合間にキッチンで度々休憩しました。黒のフォーマルドレスの撮影が終わって一休憩。ユーリアが暑がっているので水着の撮影にしましょうとアシスタントが言ってきました。午前中も水着の撮影でしたが水着は何着も用意してあったので今回はブルーの水着に着替えました。庭にあるプールで撮影開始です。プールと言っても子供が遊ぶようなプールで水もあまり入っていませんでしたがユーリアは水を浴びて楽しそうにポーズしていました。覚えたての日本語を盛んに話しながら...上機嫌のユーリアでした。


ロシアタレントとの出会い#51

  img昨日、帰る車の中でアシスタントとユーリアが明日の衣装の打ち合わせをしていました。明日の撮影場所は高級別荘地にある豪華な別荘を借りたのでフォーマルな衣裳を用意してあるとアシスタントはユーリアに話していました。 朝、集合場所に来たアシスタントとユーリアを乗せて撮影場所へ出発。 車に乗ると『最初の撮影は黒のフォーマルドレスで撮ってね。』とユーリアが言うのです。『私、モスクワの貴婦人になるから』と楽しそうに私に話しかけてきました。昨日はトレーニングマシーンで疲れたのではないかと心配していたのですがユーリアはすこぶる元気! カメラマンの私はまだ疲れが残っていて車の中で話す気力もないのにユーリアは本当に元気で楽しそうに話をしていたのです。天気も良いので午前中は庭で撮影する事にし、ユーリアには水着を着てもらいました。 昼食後、黒のドレスを着た彼女を撮影。 部屋から玄関、玄関から外へと移動しながらポーズするユーリアは貴婦人のようでした。時々彼女のしぐさが面白く思わず笑ってしまったことも思い出されます。どんな衣装を用意してもユーリアは着こなしてくれる、嫌な顔もせずどんな撮影もOKしてくれる、彼女だから私は疲れも忘れて意欲的に撮影を続けられたのだと思う。


ロシアタレントとの出会い#50

01夏の暑い日、モスクワ郊外にある庭の広い別荘を借りて撮影しました。 以前、冬に借りて撮影した事がある別荘でしたが再度借りることにしました。 冬に来た時は辺り一面雪景色だった為、庭がこんなにも広い別荘だとは思いませんでした。 ユーリアは別荘に着くなり部屋を見て回っていました。2階にあるトレーニングルームに並んでいるいろいろなマシーンにユーリアはとても興味を持ったようでした。冬に来た時は何もない広い部屋でしたがこの度はトレーニングルームに改装されていてミニ体育館のようでした。 ユーリアの希望で最初にトレーニングルームで撮影をすることになったのです。スポーツウェア―が無かったので彼女は持って行った衣装をいろいろ見ていました。彼女は髪を束ねて写真の衣装でマシーンに座って待っていました。 ユーリアは小さい時ダンスとか体操が好きで練習は良くしていたと話していました。16歳の頃から胸が大きくなったので体操よりダンスの方が好きだったとか。 マシーンにすわって筋力トレーニングをするユーリアの表情は本当に楽しそうに見えます。マシーンに夢中になっている彼女が印象的でした。このシーンはファンにとても人気があったようです。 マシーンに夢中になりすぎたのか...帰り際、『腕が痛い』と言って笑っていました。『次の日の撮影は大丈夫か?』と聞くと『今日はお風呂に入ってゆっくり休むから大丈夫』と言って帰って行きました。


ロシアタレントとの出会い#49

撮影場所のアパートが狭かったので撮影は半日で終わることにしました。 ユーリアを地下鉄の駅まで送る途中、木造の変わった建物を見つけました。 スタッフに聞くと教会だと言うので写真を撮りたくて立ち寄りました。 町はずれの誰もいないひっそりとした場所でしたがオレンジ色のマリーゴールドがとても印象的でした。教会の中には入れず残念だったが教会周辺の散策を楽しんだ。モスクワの夏は白夜なので夕方でも明るい。 美しく咲いているマリーゴルドの花の前でユーリアを撮影したのがこの写真です。 ユーリアが着ている黒のワンピースはユーリア自前の服です。 このワンピースはユーリアの胸が大きく見えないので彼女のお気に入りの服だと言っていました。言われてみると確かに胸が大きく見えないような気もする。 周囲の人から『胸が大きい』と言われるようになったのがユーリア16歳ぐらいの時だったとか。電車の中や町で自分の胸に視線を感じるのがとても嫌だったと話していました。その頃から彼女は周囲の目を気にするようになり、出来るだけ胸が小さく見えるよう工夫していたそうです。 胸の小さい人は手術してでも胸を大きくしたいと思っている。ユーリアは大きな胸を小さく見せたいと努力しているのだから何とも贅沢な悩みだと言われるだろう。 教会の近くにある地下鉄からユーリアは電車に乗って自宅に帰りました 0102


ロシアタレントとの出会い#48

123ブログ46に続きます。 このシーンも最初の夏にユーリアを撮った写真です。このシーンを撮影した時は予定した別荘が使えなくなり、急遽アシスタントの友人のマンションを借りて撮影することにしました。予定した別荘のエリアが一日中停電になる為、変更せざるを得なかったのです。当時のモスクワは電力不足の為、計画停電が日常茶飯事でした。 友人のマンションはモスクワ市内にあり部屋数が少なかったので大きなベッドルームを中心に時間をかけて撮影をすることにしました。何日も外の撮影が続いたので部屋の中の撮影をユーリアは大変喜びました。太陽に向かって立つことが多いのでモデルにとって夏の外での撮影はハードワークなのです。 今までの別荘に比べると小さな部屋なので移動も少なく、ユーリアはベッドの上でリラックスしてアシスタントと話に夢中になっていました。このような環境での撮影も時には良いのかなと思いました。この時のユーリアは比較的落ち着いた感じで写真が撮れています。


ロシアタレントとの出会い#47

6月末からモスクワに行きました。 今回の目的は現地に置いてある撮影機材の整理や撮影に使用した衣裳の整理をする為でした。毎回撮影スケジュールをこなすだけで精一杯の20年、荷物の整理をする時間も無く帰国していた。その為、衣装や機材は良く盗まれた。盗まれる度に保管場所を変えたりしてきた。 今はデジタルになりフイルムもカメラもストロボも変わってしまったので置いてある荷物の整理をしなければといつも思っていた。しかし紛争などがありすぐに行くことが出来なかった。現地に置いてある撮影機材や衣装などの多さを見て20年の月日を痛感している。当時はフイルムで撮影したので機材もアナログ...今思うとこんなに重い三脚やストロボを良く使って撮影していたなーと自分でも感心している。当時はストロボに使う積層電池も毎回日本から運び、空港で重量オーバーと言われ料金を払ったり...行く度にいろいろな経験をした事を思い出した。  以前、撮影したモデルがモデルエージェントのオーナーになっていて私の事を覚えてくれていた事もうれしかった。当時情報を提供してくれたスタッフやモデル達と食事をしながら20年間の出来事を皆で思い出していた。 偶然にもモデル、ヴァロリー・イレーネと食事をすることになり彼女からモデルの情報を聞くことも出来た。『私もユーリアの写真のように撮って欲しかった』と言った彼女。私の作品集を見せると非常に良く理解してくれて協力したいと言ってくれた。 私に情報を送ってくれた人たちが若くして亡くなっていたり...無我夢中で仕事をしてきたが気が付いたら20年も過ぎていたのだ。数えきれないほどの人と仕事をしてきたのだなーと改めて20年を振り返っている。 今回は懐かしい再会、偶然の出会いがあったりして楽しい時間を過ごせたと思う。  私は前から20年を区切りにロシアでの仕事を辞めようと思っていた。しかし今回ロシアに行ったことで新しい情報や協力を得ることが出来た。これは仕事の終わりでなくスタートとしよう。又、ロシアで撮影を続けたいと思う意欲が出てきた。今回現地スタッフとユーリアのフイルムを見直しながら会話のシーンを重点的にチェックしてみた。次回作はユーリアの会話のシーンを沢山入れた作品を発表しようと思っています。 img


お知らせ

ロシアに出張中なので今月のブログはお休みします。DSC_0294


ロシアタレントとの出会い#46

C12この撮影日のモスクワは良く晴れて気温は29度、湿度も無くさわやかな日でした。モスクワの夏は白夜なので夜の10時頃まで明るく、夕方も少し時間を延長して撮影出来ます。もちろん撮影時間が長いとユーリアは疲れてしまうのでユーリアと交渉しながら時間を延長していました。この日は撮影も順調に進み別荘も静かな所だったので19時頃まで撮影を続けました。午前中はベランダで撮影。2階のベランダは見晴らしの良い所で周りの景色が一望できます。この別荘の周囲には建物も少なく緑に囲まれ撮影には適した所でした。この写真はこのベランダで撮影した写真です。RBD4のパッケージにも使ったシーンです。籐椅子の横には大きなテーブルがあり、ユーリアはそのテーブルの上に大きなロシア製の地図を拡げていました。撮影の合間にその地図を見ながら『日本はここ?』とか『東京はどの辺り?』などいろいろ私に聞くのです。ユーリアは楽しそうにいろいろと私に話しかけるのです。いつも写真を撮られている事をあまり意識せずおしゃべりを続けているユーリアを撮り続ける私です。このベランダには熊のはく製が置いてあり、ユーリアは大きな爪を触ったり、熊が手を挙げているポーズをしたりして遊んでいました。このシーンは公開してあります。この日の撮影も順調に多くのシーンを撮影出来た事が何よりうれしかったと記憶している。


ロシアタレントとの出会い#45

B9撮影2日目、『今日は特別な区域にある別荘です』とアシスタントが得意げに言うのです。モスクワのホテルから1時間30分、郊外にある別荘に着きました。この区域は芸術家や富裕層が住む区域らしく入り口には自動小銃を持った警備員が立ち証明書を確認してからゲートを開けます。ゲートを入るとしゃれた別荘が立ち並んでいます。建物を眺めながらゆっくりと車は進み、今日の撮影場所の別荘に着きました。大きな私道に面した南欧風の白い別荘でした。庭は広く大きなバルコニー有、プール有、リビングルーム有、イメージの違う寝室有、屋上有、撮影場所としては最高の別荘でした。ユーリアは前日の別荘をとても気に入っていました。撮影環境が良かったせいかユーリアもヌード撮影に関しての不安が徐々に無くなり私との信頼関係も良くなっていきました。このようにアットフォームな雰囲気でヌード撮影が出来ることは珍しい事かも知れません。良い作品を作るのには撮影環境が最も重要な事なのです。 2日目の別荘はさらにゴージャスだったのでユーリアも大喜び、私が撮影準備をしている間に水着に着替えて庭に飛び出して行きました。


ロシアタレントとの出会い#44

D27ストロボが順調に使えるので撮影に集中できるようになったことは本当に助かりました。しかしストロボを使えない場所も多くあります。レフ版を使って自然光を巧みに扱うのは技術と経験が必要です。この写真を撮影した場所は大きな木に囲まれた森の中でした。 この場所でユーリアをきれいに撮るにはどうしようかと、シーンを想像して撮影を始めます。晴れた青空の下、曇りの時、窓から自然光の入る場所、撮影場所によってさまざまな色の光があります。写真は光の芸術です。差し込むいろいろな色の光を拾ってユーリアに当て、仕上がりを想像しながらシャッターを切ります。ユーリアの透けるような白い肌はライティングが非常に難しいのです。ユーリアが衣装を着ている時とヌードの時では状況も変わります。特にヌードの場合、周囲の光の色によりユーリアの白い肌は微妙に変化します。 ユーリアの肌をリアルに表現できる写真を撮りたいと一人何役もこなして撮影現場を動き回っている私です。ユーリアの撮影現場にはアシスタント2人しかいません。だから私がすべてやるしかない...想像を絶する忙しさなのです。 この写真は逆光に立ったユーリアにレフ版を反射させて撮影しました。この時はレフ版を三脚に立てかけてユーリアに光が当たるようにセッティングしました。ユーリアの肌が白いので森の木々の色を拾って健康的な肌色に映り、背景と人物がうまく重なってユーリアがきれいに見える写真となりました。 ユーリアの白い肌をどうすれば見たままの質感を出せるかいつも真剣に取り組んできました。


お知らせ

今月は仕事が忙しくブログの更新が遅れました。 今回は写真集Part1Part2に関して書いてみます。 写真集Part1Part2に関していろいろなご意見をいただいています。 写真集発売を望むユーリアファンの熱意に心が動きます。 しかし、本離れの時代に写真集を制作する事の難しさも痛感しております。 スタッフと協議していくつかの問題点がありました。 ●写真集がどのくらい売れるのかが最も重要な問題点となりました。 ●私の作品は限定数で制作する為、単価がどうしても高くなってしまう事。 ●ユーリアファンを動画派と写真集派に分けると圧倒的に動画派が多い事。 現在は上記の問題点などもあり写真集発売の結論が出せず悩んでいる状況です。 充実した内容の写真集Part1Part2、を制作したいので印刷方法や、印刷コスト...等、印刷会社からの情報などを集めながらスタッフと話し合いをして結論を出したいと思っております。 ユーリアの写真集Part1234が写真集のバイブルとして永遠に残ることは私の望むことでもあります。多くのファンがユーリアの写真集を買ってくれることを望んでいます。 02


お知らせ

mg0003


ロシアタレントとの出会い#43

23初日の撮影は天気に恵まれ自然光だけで良い写真が撮れたが、明日の撮影はどうしようと帰りの車の中で考え込んでしまった。ホテルに帰り明日の撮影の準備をしていたらアシスタントから変圧器を持っている友人を見つけたので今からホテルに持って行くと電話がかかってきた。以前、日本に住んでいた人が日本製の電気釜やテレビの電圧を100Vから200Vに変換する大きな箱型の変圧器を持っていたのだ。アシスタントが持ってきた変圧器を早速試したところ、ストロボが発光した。日本からロシア用のプラグと延長コードも沢山持って来ていたのでどの場所でもストロボを使うことが出来る。これで明日からの撮影は安心してできる。 撮影チームで外国に行く場合は十分な機材を持って行くことが出来る。私の場合はいつも一人で行動しているので持って行く機材は必要最小限、コンパクトにまとめて持って行く。毎回モスクワに行く度に必要な機材を運びモスクワのオフィスに置いて帰った。徐々に撮影機材の悩みは解決してきたが、日本で撮影をしているようにはいかない。不便極まりないモスクワでの撮影は大変だった。しかし、ストロボの充電が早くなり安定して発光してくれるので撮影がスムースになったことは何よりもうれしかった。 この写真は外の露出とストロボの光の露出を同じ数値にして撮影しました。 自然光とストロボの人工的な光を調和させて、ユーリアの肌とピンクの衣装がよりいっそうきれいに見える効果を狙いました。ストロボを使うことでユーリアのボディラインもくっきりと見えるのです。二日目の撮影も満足できる良い写真が沢山撮れました。


ロシアタレントとの出会い#42

D22ユーリアの初めての夏の撮影、撮影初日の事を書きます。 前回の冬の撮影ではストロボの光量が充分でなかったので、今回は日本からコンバーターと大型ストロボを買って持って行きました。しかし、コンバーターの容量が小さかった為、ストロボを数回発光させると電源が落ちてしまい結局、ストロボを使うことが出来ませんでした。  ユーリアを撮影する前の6年間は手持ちストロボに写真用乾電池を三脚にセットして撮影していました。当時の機材はすべて重いものばかり...フイルム10本が約300グラム、約10キロぐらいは持って行きました。バッテリー1個の重さが1キロ、この1個の電池でフイルム50本ぐらいしか撮れませんでした。バッテリーは毎回67個持っていただろうか。モスクワに出発する前は持って行く荷物を決めることが大変だった。機材の重さを量っては余分な物を減らしていた。今はデジタルになったのでだいぶ楽になったとは言え出発前の荷物の重さとの戦いは同じである。ユーリアを撮影するようになって増えたのが衣裳だった。  撮影初日、ストロボが使えず本当に困った。しかしこの日はラッキーでした。天気も良く部屋に陽が差し込む明るい別荘だった事もあり、レフ板をうまく使い撮影出来ました。撮影条件が悪かった場合、どうしたら良い写真が撮れるか...私は原点に戻って考えます。自分の感性と経験と技術をフルに使って撮影すれば良い作品につながると確信しているからです。もちろん良いモデルが第一条件ですがカメラマンの感性と技術も重要だったことは確かである。  最初の夏に撮影したユーリアの写真は『写真集Part2』の半分を占めています。最初ユーリアを撮っている時『本当にユーリアはきれいだ』と思いながらシャッターを押していたことを覚えています。撮影初日は苦労が多くありましたが本当に良い写真が撮れたと思っています。『災い転じて福となる』。


ロシアタレントとの出会い#41

img広い庭を見ながら『私、いつかこんな別荘に住みたいなー』とユーリアはつぶやきました。私が撮影のために選ぶ別荘の条件は花のある庭、木があり、庭か室内に必ずプールがあること、各部屋には格調高い家具があること...etc.レンタル料金が高くても良い作品を作るための必要条件です。又、ユーリアが気に入ってくれること...これが最も重要なことです。ユーリアを発掘する前は良い別荘を見つける手段がなく大変苦労しました。当時はまだ新しい別荘というものが無く100年前の屋敷を貸していました。私が初めてアシスタントに別荘を探せと言った時のことを思い出しました。私はアシスタントに古くても良いからロシアの雰囲気のある建物を探せと...別荘とはこんな建物....いろいろ詳しく説明をしたのです。撮影当日アシスタントが案内して着いた別荘を見て私は驚き言葉が出ませんでした。確かに建物は古い、部屋は木造、庭は広いが荒れ果てていて鶏が放し飼いにされている農家だった。トイレは庭に木の板で囲った中にブリキのバケツが置いてありました。私があれだけ詳しく説明して頼んだのに何も理解していなかったアシスタントに腹が立ち撮影を中止したのです。今までは撮影を中止することが嫌だったので私が我慢する事ばかりでした。彼らは今回も私がOKを出すと思っていたらしく悪びれる様子もなく機材を運んでいました。この時もロシア人と日本人との違いを感じさせられました。この時以来、私はアシスタントに妥協することを止めました。私が納得できる別荘が探せるまで撮影はしないとホテルにとどまっていました。私もアシスタントの力なくしてはロシアで何もできない事はわかっていましたが今回ばかりは私の賭けに頼るだけでした。2日経って『今度は絶対大丈夫』とホテルに電話がかかってきました。翌朝1時間かけて別荘に着きました。3メートルはある高い塀に囲まれた古い洋館でした。広い庭に大きな松の木が何本も立ち、雑草の手入れもされていました。スターリン時代の古い建物でしたが私のイメージに近い建物でした。今回ばかりはアシスタントも私が又怒るのではないかと心配そうに私に『OK』かと聞くので私は『OK』と答ええたのでした。どちらかと言うと今までアシスタントに仕方なく妥協する事ばかりでしたが良い仕事をするためには自分の意思をはっきりと伝えなくてはと思いました。日本人的なあいまいな態度はロシア人スタッフを動かすことはできないと.... アシスタントが私が納得できる別荘を探してくるまで約2年かかりました。その代り彼らが要求する報酬はエスカレートしていったのです。すべての支払いに彼らの報酬が含まれているのです。 15年近く私のアシスタントを務めた夫婦は私から得た報酬で現在別荘を経営しています。彼らは『智史さんのおかげでこの別荘が買えた』と今はとても感謝しています。15年前彼らが私から得た報酬は当時のモスクワの平均年収の5倍にもなっていたのです。 2000年になるとモスクワ郊外は別荘ラッシュで至る所に同じような建物が立ち始めました。別荘が建ってもインフラ整備はされていません。道路は未完成、電気は年中停電、建築も日本と比較したら問題ありの建物ばかりでした。しかし値段を聞くとビックリ...なんと1億円もするというのである。別荘の持ち主は警察官僚、政治家、マフィア、これがロシアの本当の姿だと彼らは嘆いていた。見てかけの良い別荘も彼らにとっては夢の夢...一般庶民には手の届かない別世界の事と思っているようだ。しかしアシスタント夫婦は毎回私の仕事で得た報酬を蓄え別荘を買ったのだから大したものである。私も彼らとはお金のことで良く口論したことがある。彼らはすべて前金主義、建て替えは一切しない、彼らはお金だけしか信用しなかった。日本人から言わせると『えげつない』この言葉がぴったり。当時のモスクワの別荘事情を書いてみました。


お知らせ

DSC_0542 次回のブログは115日予定。