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2020年6月

今月は自粛要請もありスタジオにこもり半世紀にわたり撮影したフイルムを整理することにした。どの写真を見ても当時を思い出して片付けがはかどらない。

大学のエクステンション講座で私は美術コースを受講した。毎週drawingの授業でヌードモデルをデッサンしていた。当時このコースを受講したのは日本人一人、私だけでした。作風がちょっと違っていたのか先生や学生たちから注目された。日本に興味を持っていたモデル、レネー、画家を目指している美術科の学生が話しかけてきた。彼女がきっかけでモデル達との交流が始まった。私が写真家を目指していることを知った彼女たちは写真のモデルを快く引き受けてくれた。 この写真がアメリカに渡って撮った最初の作品である。
当時はヒッピー文化が盛んな時代。レネーは女友達数人とアパートのワンフロア―を借りて生活していた。彼女のアパートに行くと部屋の中を皆、裸で歩きまわっていた。日本では見ることのできない光景、驚いてしまった。レネーを撮影していると他の女友達も寄ってきて『私も撮ってほしい』と言う。当時のアメリカのヒッピー生活を目の当たりに経験できた。その後、レネーの紹介で多くのモデル達を撮影することが出来、沢山の良い作品が作れた。撮影に最も必要なモデルが常に周りにいた事、また彼女たちが私のカメラの前には喜んでポーズをとってくれたことを知って他の日本人の友人からうらやましがられたことを覚えている。 彼女達にはモデル代の代わりとして撮った作品をプリントにして渡していた。
彼女達は写真の価値をよく理解していたのでお金よりプリントを喜んで欲しがった。その後、レネーはロンドンとニューヨークに渡り画家として成功した。私が撮ったレネーの写真をモチーフにして描いた絵がサンフランシスコの美術館に飾られたと後になって聞いた。

モデル達の自然なポーズをとらえることが私の作風。
ユーリアの撮影やユーリアフレンズの作品もアメリカでの経験が大いに影響したと思っている。