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お知らせ

今回はオークションがあったのでブログお休みします。 オークション大盛況で終わりました。 ユーリアの人気は不滅です。 img049


ロシアタレントとの出会い#18

翌朝、ホテルのレストランに行って朝食を食べた時の事です。多くの客が並んでいるので何事かと思い見てみるとコーヒーに入れるミルクを買う為の列でした。コーヒーに入れるミルクが有料とは...2メートルもある背の高い男が手の指先ほどの小さなミルクを配っていました。この光景はロシア経済の現実を見せられたようで...ホテルの宿泊代、食事代は日本と比較すると法外に高い金額なのにホテルの部屋には粗末なベッド、決して美味しいと言えないような食事...ロシアのホテルはサービス業では無く外国人を止めてあげるだけの宿泊施設という雰囲気...又、ロシアに入国する時はビザの申請が必要...外国人は指定されたホテル以外は泊る事も出来ない。この頃のロシアは徹底した社会主義の国だったように思えた。町の店で買い物をしていてもほとんどの店員達は『ありがとう』とは言わなかった。ス-パーマーケットに行くと入り口に武器を持ったガードマンが立っていて手荷物は店のロッカーに入れてからでないと売り場に行けなかった。又、自分の手を使って品物をカートに入れて買い物ができるのは私が良く行くスーパー一ヶ所だけ...デパートで買い物をする場合は商品番号を店員に口頭で伝え、お金を先に払い、受け取り書と引き換えでないと商品を受け取ることができない。大きな品を買っても手提げ袋も無い...今は日本のスーパーでも見られる光景だが20年前のロシアではマイバッグ持参があたりまえだった。ようするにレジ袋の無料提供は全く無かった。10年前頃になって、レジ袋が有料で買えるようになったが...小言を言っていたらきりが無い。大国ロシアと日本との経済の格差はあまりにも大きかった。 img553img550


ロシアタレントとの出会い#17

 表に出ると私の名前が書いてあるボードを持った現地旅行社員が待っていました。彼の案内でタクシーに乗りました。国際空港にしては出口付近がうす暗く怪しげな雰囲気の男たちが屯していて、『タクシー』と大声で外国人旅行者を呼び止めていました。これも又国際空港のイメージとはかけ離れた異様な光景でした。彼らはもぐりのタクシードライバーで背景にはマフィアも絡んでいる場合もあるとか...聞きました。 タクシーは古びたロシア製...タクシーの窓から見えるうす暗い街灯に照らされた街並み、寂寥感あふれる街を通って40分、車はホテルの前に到着。 ホテルの入り口は大きな分厚い木の扉。木の扉を開けてホテルに入るとエントランスロビーはやたらと広く、スターリン様式の建物で部屋やロビーは伝統的なヴィクトリア様式風に作られていて荘厳さよりも特に古さだけを感じるホテルでした。 急いで受付に行きバウチャー(ホテルの宿泊証明書)とパスポートを提示しました。予約してあるのですぐに部屋のキーを渡されすぐに部屋に案内されるのが当然と考えていました。しかしいくら待っても応対してくれません。30分経っても対応しないので早くするよう催促しても急ぐ様子も無く...部屋が決まるまで一時間経っていました。とにかく呆れるというか...悪びれる様子も無く....『何か文句あるのか』と言いかねない態度には驚くばかり... 日本の旅行社で決めた部屋とはまるで違う部屋に決められたのです。すぐにクレームを言って交渉...最終的に部屋が決まるまで1時間半...怒りがいっぱい...長旅の疲れがどーと出てきました。旅行社に任せていたのでホテルのいい加減な状況を予想もしていなかったのでした。私は学生の頃からいろいろな国を訪れましたがロシアは特別な国....文化や価値観の違う国なのだと思うようにして怒りを抑えたのです。モスクワ到着初日の出来事として今でも鮮明に覚えています。 やっと決まった部屋で荷物の整理をしていると部屋の電話が鳴るのです。受話器を取ると女の声で『ハロー 女はどうですか?』... フロントの対応も遅くやる気の無い態度のおばさん達...本業以外の裏ビジネスなのか...この対応の早さには脱帽させられました。今でいえば個人情報の流出です。顧客名簿がある組織に流れる仕組みになっていたのでしょう。外国人男性客をターゲットにしているのです。夜の12時頃...ドアをノックする音で目が覚めました。ドア越しに太い男の声が聞こえるのです。返事をしないで耳を澄ませているとしばらくしてから人の気配が無くなりました。『このホテルはどうなっているのだ』と怒鳴りたくなりました。翌日ロシアの友人にこの話をすると友人はマフィアがコールガールの斡旋をしホテルと共存共栄しているらしい...だから『ドアは絶対開けない事』と言われました。 ホテルに入る時ガードマンがホテルカードとパスポートの確認をし厳重なチェックを受けて入ります。しかし夜のビジネスの女性達はフリーパスです。当時のロシアは何ともおかしな国...矛盾だらけの不思議な国に見えたのです。 img656img657    


ロシアタレントとの出会い#16

アシスタント第一号のナターシャから10代、20代前半のモデルの写真が沢山送られてきました。写真だけで判断するのは難しいので取りあえずモスクワに行くことにしました。 最初に訪れた日のモスクワは1994年3月末、街にはまだ雪が残っていて厳しい寒さの日でした。モスクワのシェレメーチェヴォ空港に着いた時の驚き...今でも忘れる事は出来ません。薄暗い陰気な建物の空港、入国検査官の目つきは猜疑心に満ちていて、やたら時間がかかる入国審査... 日本の空港では見る事が出来ない光景ばかりでした。日本ではどんなに混雑しても入国審査はかなりスムースに通過出来ます。 旅行者の面前で平然と物を食べたり,タバコを吸ったりしているモスクワ空港の係官...旅行者が列をなして並んでいると地味な制服を着た何人かの係官が後列に回り賄賂を要求して順番を優遇していたり...日常茶飯事の出来事なのかもしれませんが実に不愉快な光景でした。 総てのロシア人がこの様な人達と同じだとは思いませんが私の第一印象はこれが本当にロシアなのか...大国ロシアの現実の姿なのか.... 私は言葉で表現できないほど落胆し、この時はとんでもない国に来てしまったと悔やんだものです。入国審査を1時間以上も待ち荷物が出てくる迄40分以上待ちました。それでもいつもより早いとか... 日本人の若者は自分の荷物が出てこないので顔色を変えて困っていました。 係官は現場を見ていても助けようとしません。私も初めてのモスクワだったので彼を助ける事が出来ないので彼をインツーリストのオフィスに連れて行ったのです。時間はかかりましたが何とか荷物が見つかったので安心しました。 この時も「大変な国に来たぞ!」と実感...でした。 私は気持ちを引き締めて重たいバッグを転がしながら空港の外に出ました。img565 img557


ロシアタレントとの出会い#15

img041ブログしばらく休みました。ユーリアと出会うまでを思い出しながら続きを書いてみたいと思います。ブログNo.1に書いた文章と一部重複します。 私が如何にしてユーリア・ノーバをモデルとして発掘できたのか...私がなぜロシア女性をモデルとして撮影し始めたのか...ユーリア・ノーバにたどり着く迄、何年もかかりました。その当時のモスクワの様子なども思い出しながら書いてみます。 平成5年、夏ごろモスクワから多くのタレントが日本に働きに来るようになりました。私は写真を通じて彼女達と交流を深めていきました。彼女達は半年間滞在するとモスクワに帰国します。日本になじめないまま帰国するタレントも多くいましたが私は私のアシスタントができるタレントを探し続けたのです。 日本語が上手なタレントは通訳に、ビジネスに興味のあるタレントは現地でモデル探しを...と...いうように考えていたのです。日本に居ながら現地の情報を得る為のアシスタント通訳が私には必要でした。しかし、日本語が堪能なタレントはいませんでした。だから英語を話すタレントを見つけることにしたのです。英語を話せるタレントをナターシャと紹介しておきます。彼女は金銭欲が強く日本人の私にはちょっと手ごわい感じのタレントでした。後でわかった事ですが彼女は家族を養う為に必死で働く必要があったのです。私と縁があったのでしょう...日本にいた時、彼女は私のスタジオに頻繁に遊びに来ていたのです。だから彼女は私の仕事を良く理解していました。彼女が帰国後、私は頻繁にモスクワのナターシャに電話しました。何度も話をしているうちに彼女は次第に私の仕事への意欲がでてきたようでした。 偶然にも彼女の友人がモスクワでモデルをしていたりしたのでモデルエージェントとの情報も得る事が出来るようになりました。彼女は私の指示に従ってモスクワからモデルの写真を送ってくれるようになったのです。彼女は私がモスクワで仕事をするきっかけを作ったアシスタント第一号となりました。


お知らせ

スタジオの改装も終わりました。 スタジオ、写真事務室、作品倉庫も完成しました。 1976年夏にフォトスタジオ木津をオープンしてから早いもので約40年経ちました。 人物写真。コマーシャル写真、あらゆる分野の仕事をこのスタジオで撮影したのです。20年前の活動の場所はほとんど日本でした。週刊ポスト。週刊現代。週刊プレイボーイ。平凡パンチなどの雑誌のグラビアの撮影で多くのモデルやタレントが訪れました。スタジオの近くには山や川、森、温泉などがあるので撮影場所としては恵まれていました。 一般撮影のお客さまも年月を重ねるごとに多くなり、七五三や成人式、家族写真と家族の歴史の写真も撮り続けてきました。 家族写真を30年以上撮り続けている家族もこのスタジオで毎年撮影しています。 撮影した家族の歴史が倉庫に沢山保管されています。 多くの人が訪れてくれたスタジオでしたがこの度、改装も終わり新たな気持ちでスタートしたいと思っています。 20年前より撮影場所をを国内からロシア。モスクワに移動して仕事の幅を広げています。 ロシア女性も撮影し続けています。 撮影の集大成を考えて40年間の作品、フイルムの整理、を始めています。 今、目の前に積んである作品。フイルム、プリントの膨大な量に驚きを隠せません。どう整理するか考えている間に次の仕事の依頼が来るのですから... 私にとって最も不得意な整理整頓が今後の大仕事です。


お知らせ

スタジオと事務所の工事が予定より延びてしまっています。 今月末までには終わる予定です。 img017


お知らせ

只今、スタジオ改装中です。 8月20日からスタジオ内部と事務所を改装しています。 撮影済みフイルムも膨大な量になり収納スペースを広げなくてはならない状況になってしまい事務所も改装することにしました。 長年忙しくて手をつけられなかった未編集のポジフイルムが沢山あります。 今まで撮影したポジフイルムなどすべてデジタル化したいと思っています。 フイルムの整理にどのくらい時間がかかるか想像もできませんがもう一度良い作品を選んでみたいと思っています。 img2


ロシアタレントとの出会い#14

02『JAPAN  HOLIDAYロシア女子大生ヌード アンナ&ユーリア』平成6年5月5日に発売されました。 ロシアから日本に来るタレント達やクラブに通うお客の間でもこの写真集は大変評判となりました。 面白い話があります。 クラブで一番人気のアンナはガードが固く、一人ではお客さんと同伴しなかったそうです。お客と海水浴に行っても水着にならなかったとか.... 店では露出度の低い洋服ばかりを着ていて真面目なイメージしかなかったアンナがヌードになったのですから...店の客の間で話題になり大騒ぎになったのです。この頃にはアンナは帰国していて二度と日本に来る事はなかったのです。 水着にもならなかったアンナが何故ヌード写真を撮らせたのか... 何故?...どうして?...アンナが帰国後、店は大騒ぎになりました。 アンナに会いたくて毎日通ったお客もプレゼントを送り続けたお客もショックを受けた事間違いなしです。 この写真集が出版された事がきっかけで日本に来た多くのロシアのタレント達は私のスタジオに遊びに来るようになったのです。東京に来ていたロシアタレントからも写真を撮って欲しいと頻繁に電話がかかってくるようになりロシアタレントとの交流の輪が広がり始めました。 ロシアの情報集めや現地での活動の為の基盤づくりを考え始めたのがこの頃です。モスクワの詳しい事情を知るのには現地のタレント達の協力が必要だと考え、多くのロシアタレントを無料で撮影することにしたのです。ロシア人の持っている国民性や習慣などの情報も得る事が出来、日本にいながらモスクワで協力してくれるスタッフも探せるという私独自のルートも出来始めたのです。 私が撮ったタレント達の写真がモスクワのタレント事務所やモデル事務所で評判になり私がモスクワに行く前にすでにカメラマンとしての実績が評価されていたのです。


ロシアタレントとの出会い#13

img004最初はスペイン風のドレスを着てもらい徐々に服を一枚づつ脱いでもらった。ポラロイドで撮影しアンナ達に確認させながら撮影を進めたのです。今はデジタルカメラなのですぐに確認できます。当時は確認する為にはポラロイドカメラで撮影しプリントを出して確認するしかなかったのです。自分達の写真を繰り返し見ていくうちにアンナもポーズの工夫が出来るようになり良い写真が撮れるようになったのです。 彼女達が最も喜んだのは着物でした。一度は羽織ってみたかったと話していた二人。気にいった衣装の時の彼女達の表情が違うことにこの時気がついたのです。ロシア人好みの衣装がどのようなものなのか...ロシアに行ってから数年目にしてわかったような気がします。相棒のユーリアは最後までアンナの足を引っ張ってしまいましたが...何とかアンナとユーリアの3日間の撮影は無事終了しました。 残りの一日はアンナだけを連れて埼玉の貸しスタジオで撮影をしました。 撮影にすっかり慣れたアンナは楽しそうにおしゃべりしながらカメラの前に立てるようになっていました。クラブで働いている時よりも楽しかったと言ってくれたアンナ。日本に来た時より体重が6キロも増えたとか...少し気にしていたアンナ。お尻の形はロシア人独特のずっしりと重い感じ...ボディも肉感的で健康的で初々しい...と感じながらシャッターを押していた私です。撮影しながらロシア人のプライドの高さ、白い肌の色、肌の質感、など学ぶことが出来た4日間だった。意志の伝達、言葉、コミュニケーションこれからロシアに行って撮影しようと思っている私にとってこの撮影は良い経験となりました。 『JAPAN  HOLIDAYロシア女子大生ヌード アンナ&ユーリア』の写真集撮影無事終了。


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