毎年12月にユーリア着用衣装のオークションを開催していました。
アメリカにいる友人からのアドバイスがきっかけで始めたオークション、8回も続いたことに海外からも驚きのメッセージが届きます。
マンネリ化を指摘されないよう衣装に関連した写真や、動画をプレゼントとしたのですが準備に時間がかかるのでスタッフ泣かせだったようです。
オークションも今年で9回目、10回目のオークションを最後とする予定だったがコロナ感染が拡大する状況を見ると9回目も難しい状況。オークション延期を決めました。コロナウイルス感染が一日も早く終息してほしいと願っています。以前のような平穏な世の中になったら最後のオークションを是非開催したいと考えています。
ユーリアのようなモデルは今後も出てこないと思う。
彼女が着た衣装を記念としてファンのコレクションに加えてもらえると嬉しい。
しばらく作品を出していないが新しい試みで作品を作りたいと思い只今検討中です。
ユーリアの衣装を整理していたらこのシーンの写真が出てきた。
残念ながら衣装は無かったがこの時のユーリアを鮮明に覚えている。
このシーンは南欧風の2階建ての別荘で撮影しました。
ロシアの貴婦人用の黒のフォーマルドレスはアシスタントがユーリアの為に用意したものでした。このドレスを着て、まず外庭から撮影を始めました。高級別荘にふさわしいユーリアの貴婦人スタイル、ユーリアの悦に入った表情、彼女の気分は上々で撮影スタート。しばらくは別荘を背景に撮影し、その後、一階のリビングルームに移動し豪華な茶色のソファーの上でドレスや下着を脱ぎながらポーズをとるユーリアを撮影しました。ユーリアは何のためらいも無く、自然に丁寧にドレス、ストッキングを体から外していきます。この様子は写真より動画を主に撮影しました。革張りのソファーがとても感触が良く、肌触りが良いと言っていたのを覚えています。ユーリアが年齢以上に大人の妖艶な雰囲気を出したポーズを展開してくれたのでロシアの貴婦人の豪華なヌードシーンとなりました。
9月発売のオリジナル写真を探していたらこの写真を目にした。
当時はフイルム撮影、今までの経験をもとに照明やレンズを変えて考えながら写真を撮っていた。
今は画像編集ソフトを使って撮影した画像を加工修正することが多い。
フイルムの場合はどのような写真が撮れているのかその場では確認できない。
フイルム撮影の場合失敗はできないという思いで集中してシャッターを切っていた。その時の場面が脳裏に焼き付いているのでフイルムを見た時に思い描いた光景の写真がここにありました。現像焼き付けをして初めて自分の作品を見ることが出来た時の感動、どのような作品になっているか見るまでの楽しみはフイルム撮影だったかもしれない。
この写真もデジタルカメラでなくフイルムで撮影しました。
通常部屋の撮影はストロボを使用して撮影します。モデルの肌の色が正確に表現されます。部屋の明かりがタングステンライトの場合、ストロボを使用しないで撮影するとこのような写真の仕上がりになります。
タングステンライトの撮影は予想外の色の仕上がりが期待できるので面白いと思っています。時々試みて撮影していました。例えばシーツが赤だったり部屋全体が茶系だったりすると赤が強調されてこのような写真に仕上がることが多いのです。フイルム使用の場合、このような効果がありました。
暑中お見舞い申し上げます。
暑さに負けず、コロナに負けず今年の夏も乗り切りましょう。
今後とも当サイト作品をご愛顧いただきますようお願い申し上げます。
令和2年8月
コロナウイルス感染もまだまだ安心できない状況の中、撮影の仕事も徐々にスタートし始めました。
自粛期間はスタジオにこもり半世紀にわたるフイルムの整理をした結果、廃棄したフイルムは段ボールに詰めダストセンターに持って行き目の前で廃棄してもらった。撮影したフイルムは悪用されてもいけないので慎重に処分している。私がカメラマンとしてスタートした時、撮影した写真を見ると悔いの残る写真が目に付く。カメラマン駆け出しの頃、雑誌社の編集者に厳しい評価の言葉をもらったものだ。彼らの厳しい評価と要求は私のスキルアップにつながったともいえる。私が撮影したフイルムの多くはカラーポジフイルム。今後はこれらをすべてデジタル化しなくてはならない。ユーリアの陰に隠れて公開しなかったモデル達のフイルムも含めてこれからデジタル化するという忙しい日々が続きそうだ。
今月は自粛要請もありスタジオにこもり半世紀にわたり撮影したフイルムを整理することにした。どの写真を見ても当時を思い出して片付けがはかどらない。
大学のエクステンション講座で私は美術コースを受講した。毎週drawingの授業でヌードモデルをデッサンしていた。当時このコースを受講したのは日本人一人、私だけでした。作風がちょっと違っていたのか先生や学生たちから注目された。日本に興味を持っていたモデル、レネー、画家を目指している美術科の学生が話しかけてきた。彼女がきっかけでモデル達との交流が始まった。私が写真家を目指していることを知った彼女たちは写真のモデルを快く引き受けてくれた。
この写真がアメリカに渡って撮った最初の作品である。
当時はヒッピー文化が盛んな時代。レネーは女友達数人とアパートのワンフロア―を借りて生活していた。彼女のアパートに行くと部屋の中を皆、裸で歩きまわっていた。日本では見ることのできない光景、驚いてしまった。レネーを撮影していると他の女友達も寄ってきて『私も撮ってほしい』と言う。当時のアメリカのヒッピー生活を目の当たりに経験できた。その後、レネーの紹介で多くのモデル達を撮影することが出来、沢山の良い作品が作れた。撮影に最も必要なモデルが常に周りにいた事、また彼女たちが私のカメラの前には喜んでポーズをとってくれたことを知って他の日本人の友人からうらやましがられたことを覚えている。
彼女達にはモデル代の代わりとして撮った作品をプリントにして渡していた。
彼女達は写真の価値をよく理解していたのでお金よりプリントを喜んで欲しがった。その後、レネーはロンドンとニューヨークに渡り画家として成功した。私が撮ったレネーの写真をモチーフにして描いた絵がサンフランシスコの美術館に飾られたと後になって聞いた。
モデル達の自然なポーズをとらえることが私の作風。
ユーリアの撮影やユーリアフレンズの作品もアメリカでの経験が大いに影響したと思っている。
3月のブログにも書いた私の卒業制作、私が撮った最初のヌード写真です。
東京の貸しスタジオで数日かけて撮影した一枚です。美しくポーズをとれるモデルだったので自分の思い通りの作品が作れた。今思えば容姿は違うがユーリアと同じタイプのモデルだったように思い出される。
当時、貸しスタジオは少なくレンタル料金も高いので学生にはなかなか使うことができなかった。この貸しスタジオのオーナーが大学の先輩だったこともあり学割で借りることができた。当時のライトはタングステン、この撮影はシルエット撮影だったのでライトをかなり必要とした。この後、女性ヌードは美しく撮るべきと私は思うようになった。
親友(同級生)がアシスタントとなって撮影を手伝ってくれた。彼はその後、土門拳賞を受賞した写真家として有名になった。
私は人物写真を得意とし、彼はドキュメンタリー写真家としてお互いに励ましあって撮影を続けた。大学卒業後、私はアメリカで、彼はネパールをはじめとしてアジア全域を撮影の場にした。
海外からはいろいろな内容のメッセージが届きますがすべての問い合わせに返事することはできません。先日、海外からメッセージが届きました。私にとって考え深い内容だったのでブログに書いてみようと思いました。
詳しい事情は分からないまま突然【International Postal Money Order】が郵便で届いた。その後、送り主からのメッセージを読んで、何故Postal Money Orderが届いたのか送り主の事情も少し理解できたような気がする。何であれユーリアの作品を見続けた結果、カメラマン木津の芸術における信念を理解し評価してくれたことがメッセージから読み取れた。
ユーリアがデビュー当初、心無い熱狂的な海外のファンからの不可能な要求が私の頭痛の種だった。その一部のファンの攻撃がネット上において作品の拡散の原因になった。いつかはこの攻撃も静かになることとあきらめていたのだが不可能だった。今の新型コロナウイルスの拡散も新薬ができれば終息という希望が持てる。私が作品を作り続けるためには理解あるファンがいることが私の希望である。特に日本には長い間ユーリアの作品を購入し続けてくれているロイヤルファンがいることが心強い。海外にも理解あるロイヤルファンが増えてくれることが望ましい。ユーリアの作品を評価してくれる日本や海外のファンが私にとって心強い味方、次回作の意欲となることは確かである。何作品作れるかわからないがロシア美少女ユーリアのイメージを壊さず作品を作り続けていきたいと思っている。
“美しいヌード”の写真集との出会い
ユーリアの写真を見ていたら写真家Sam Haskinsの【FIVE GIRLS】という写真集を思い出した。かなり古くなっていたが私の本棚にあった。考えてみると私はかなり彼の影響を受けているようだ。
私が大学2年生の時に銀座にあったイエナ書店でこの写真集に出会った。イエナ書店は洋書が沢山あり、私は時々立ち寄っては本を見ていた。
写真家Sam Haskinsの【FIVE GIRLS】英語版の写真集を見た時、感動して思わず持っているお金を全部はたいて買ってしまった。本の定価は4千円。当時の大卒の初任給が3万円以下の時代だったからかなり高価な本だったといえる。私の持っているお金をはたいても買うだけの価値のある本だと思った。
この写真集はモノクロ大判(27X36cm)、5人のモデル達がいろいろなポーズをしている表紙が私は好きだった。その後いろいろな写真雑誌などを見たが私にとっては彼の作風が常に頭の隅に残っていたようだ。
私の卒業制作のテーマは『ヌード』だった。日本人のモデルでスタイルは外人並みのプロポーション、日本の有名な洋画家の専属のモデルに出会った。彼女は私の卒業制作の撮影に協力してくれた。モデルが良かったのか、私の斬新な写真が良かったのかわからなかったがとにかく高い評価を得た。当時ヌードを撮ることは学生にとってはとても難しい時代、しかし当時から私はモデルに恵まれていたのかもしれない。今でも彼の作品は私の写真家としてのバイブルになっている。彼の作風が今になって私のユーリア作品に大きな影響を与えたのかもしれない。
Sam Haskins
南アフリカのヨハネスブルグ出身、1965 年出版
The Bodley Head Ltd.
First published in Great Britain 1965